実際ステロイドは効いた。
誰の手にも負えなかったボクの「首神さま」の怒りを鎮めてってくれた。
呼吸は楽になり、ロレツもだいぶ回ってきて、少し歩けるようになって、ミミズのようだった自筆のサインもボクだと認識できるくらいにはなって、オシッコも自力でできるようになった。
オシッコが出たときのあの感動は忘れない。管から出していたときには得られなかったあの完全なる爽快感。便器に流れ落ちるあのサウンド、まるで豪快な滝のよう。この感動を共に分かち合おうと、次女チャンクが見舞いに来る度トイレに同席させた。そして荒々しい滝の音を聴かせ「よかったね、お姉ちゃん!」と言わせ、ボクは毎回新鮮に満足した。あまりに清々しかったから、自分のオシッコからマイナスイオンが出ているような気さえした。
オシッコに限らず、自分でできることが増えるたびに大げさに感動した。なんてすばらしいんだ、自力!ボクは毎日ごきげんだった。
バビンスキー(反射)は当然ボクたちの間で流行語となり、「おはようバビンスキー。」「今日は午前中に脳波の検査がバビンスキーで、午後はリハビリバビンスキー。」と多用した。ボクは家族に対してだけでなく、医師にもナースにも分け隔てなく同じように話した。
病気のピークを自宅で過ごした(介護したり介護されたり)ボクたちには、もう恐いものなんてなかった。あの頃のボクときたら、動けばゾンビ、横たわればヨガで言うところの屍(しかばね)のポーズだったのだから、病院で適切な治療を受けているという願望ではないこのリアルに多少ハイになるのは自然だと思う。バビンスキーを連呼する無邪気な姉妹たちを医師もナースもにこにこ見守ってくれた。
今回の事件で最も頼りになったのは、三女タッタンだった。次女チャンクや母ボンレスのようながさつなパワーファイターとは違い、職業ナースの三女タッタンには安定した技術力があった。ボクが尿道カテーテルを付けて帰って来て、両親のメンタルは崩壊しチャンクは必死に歯を食いしばってこらえていた時も、タッタンは淡々とボクの世話をした。
タッタンはボクが小学5年生の時に生まれた妹で、ボクはタッタンが可愛くて可愛くてしかたなくて、もちろん色々世話もしたしおしめだって替えた。だからそんなタッタンに下の世話をされるのは感慨深く、子どもに世話をされる親の気持ちが少し分かった気がした。タッタンのナースとしての技術はボクだけでなく家族の救いになった。そして天性の癒し系オーラでボクの心を慰めた。タッタンは決してデキマス系ではないし、頭も良くないし、気が利く子でもないけど、ナースは天職だと思う。(褒めている)
ボクとチャンクがマイナスイオンを浴びてトイレから帰ってくると、病室のボクのベットでタッタンは寝ていた。患者のベットで寝るのが憧れだったそうだ。
そしてボクの美味しくない病人食もむさぼり食べていた。患者の食事が憧れだったそうだ。変わった職業病だと思ったけど、ボクはタッタンの夢を叶えてあげれたことに満足しています。
つづく